東京高等裁判所 昭和59年(行ケ)173号 判決
一 本件に関する特許庁における手続の経緯、本願発明の要旨、本件審決の理由の要点についての原告主張の事実及び本件審理終結通知を原告が受領した昭和五十九年二月二十九日ののちである同年三月二十一日、原告は上申書(成立に争いのない甲第六号証)を提出して終結した審理の再開を求めたことは、当事間に争いがない。
二 そこで、本件審決を取り消すべき事由の有無について判断する。
1 前顕甲第六号証に成立に争いのない甲第三号証(本願特許出願公告公報)を併わせ考えれば、本件上申書には、原告主張のように、当事者間に争いのない前記本願発明の要旨である特許請求の範囲記載の(c)項に「水に不混和性の相を水性相中に分散させ、水性相中に水に不混和性の相の小滴を生じさせ」とあるのを、「高せん断攪拌にて水性相中に水に不混和性相を分散させ」と、また、同(e)項に「分散した水に不混和性の相と水性相を約20℃から約60℃に保持して加水分解反応を生起させ、かくして水に不混和性の材料をポリユーリア・カプセル包被体中に包被することからなる方法」とあるのを、(e)項「分散した水に不混和性の相と水性相を約20℃から約60℃に保持して加水分散反応を生起させ、」、(f)項「つづいて攪拌速度を減少させて、加水分解反応を完了させ、かくして、水に不混和性の材料をポリユーリア・カプセル包被体中に包被することからなる方法」と補正したい旨記載されていることを認めることができる。
2 ところで、原告は、本件上申書に対応して、審判長において本件上申書記載のように補正すべき右(c)項、(e)項及び(f)項を含む特許請求の範囲を提出すべき旨の補正命令を原告に対して発すれば、本願発明はいわゆる新規性及び進歩性を有する発明となりうるし、そうであるから、審判長は、終結した審理の再開をし、そのうえで拒絶理由通知の形式をもつて右のような補正命令を発すべき法律上の義務(特許法第一五六条の規定による審理の再開)があるのに、審理の再開をしないまま、本件審決は、本願発明をもつて引用例に記載の発明と同一である、とした違法がある旨主張する。
(一) 特許法第一五六条は、審判長は事件が審決をするのに熟したときは、審理の終結を当事者に通知することを義務づけ、必要があるときは、当事者の申立により又は職権で審理の再開をすることができる旨及び審理終結通知を発した日から原則として二十日以内に審決をしなければならない旨を規定している。しかして、右に、「必要があるときは」というのは、右に述べたような同法条の規定の内容にかんがみれば、審判官においてもつぱら事件の審理の完全を期するために必要とするとの合理的理由に基づく判断をしたときをいうと解するのを相当とし、単に、出願人が審理の再開を希望する申立をしたからといつて、そのことのみの理由で審判長が審理の再開をしなければならぬ義務を負うものではない。
これを本件についてみるに、原告は、本件審理終結通知を受領する以前における本願発明の要旨及びこれに基づく本件審決の認定判断については何ら争うところがなく、ただ、本件上申書記載の原告の述べるところに基づけば、それのみによつて審判長は審理の再開をすべき義務があるとすべき事実関係にある旨主張するものであるから、本件上申書の記載するところにより、審判長は、終結した審理の再開をしなければならなかつたどうかについて検討することとなる。
(二) しかるところ、前顕甲第六号証によれば、本件上申書には、本願発明の要旨である特許請求の範囲記載の(c)項及び(e)項をそれぞれ前記認定のように補正したい旨及び補正によつて引用例に比しマイクロカプセルが集合、凝集することのない極めて微細均一径のものとして得られる効果を奏する旨記載されていることは認めうるものの、これにとどまり、さらにすすんで、右補正により、いわゆる新規性、進歩性を有するものと断ずべき肯認するに足る具体的合理的説明は本件上申書によつてもこれを認めえないし、また、原告主張のような効果を奏することを認めうることの証拠もない。
してみれば、本件上申書によつては、審判官において、事件の審理の完全を期すべく更に審理を続けるために審理の再開をすべき合理的理由が存在するものとは認め難いから、前記説示したところに従い、本件において審判長が審理の再開をすべき場合であるとすることはできない。
(三) したがつて、審判長において審理の再開をしなかつたことにつき何ら違法はないから、審理の再開をしなかつたことが違法であることを前提とする原告の前記主張は採用することができない。
三 よつて、本件審決の取消を求める原告の本訴請求は、理由がないので棄却することとする。
〔編註〕 本件における請求の原因は左のとおりである。
原告訴訟代理人は、本訴請求の原因として、次のとおり述べた。
一 特許庁における手続の経緯
原告は、昭和四十八年三月十五日、一九七二年(昭和四十七年)三月十五日及び一九七三年(昭和四十八年)一月十二日アメリカ合衆国においてした特許出願に基づく優先権を主張して、発明の名称を「カプセル化方法」とする特許出願(昭和四八年特許願第二九五六二号)をしたところ、昭和五十五年六月三十日、拒絶査定を受けたので、同年十一月四日、これに対する審判の請求をし、同年審判第一九二四一号事件として審理され、昭和五十八年二月一日出願公告されたが、神崎製紙株式会社から特許異議の申立があつた結果、昭和五十九年三月二十八日、「本件審判の請求は成り立たない。」との審決があり、その謄本は、同年四月十四日原告に送達された。
二 本願発明の要旨
水に不混和性の材料をポリユーリアの殻中に包被する方法にして、
(a) 水性相を用意し、
(b) この水性相に、カプセル化さるべき水に不混和性の材料及び芳香族イソシアネートからなる水に不混和性の相を、又は必要に応じてこの相にさらに加水分解反応触媒を添加してなる水に不混和性の相を、添加し、
(c) 水に不混和性の相を水性相中に分散させ、水性相中に水に不混和性の相の小滴を生じさせ、
(d) 水性相のpHを0から10までの間に調整し、
(e) 分散した水に不混和性の相と水性相を約20℃から約60℃に保持して加水分解反応を生起させ、かくして水に不混和性の材料をポリユーリア・カプセル包被体中に包被することからなる方法。
三 本件審決の理由の要点
1 本願発明の要旨は、前項記載のとおりである。
2 本願出願前に日本国内において頒布された刊行物である、特許出願公告昭和四二年第七七一号公報には、疎水性液体をポリユリアの殻中に包被する方法にして、多価イソシアネートを添加した疎水性液体を水中、又は多価アミンを添加した水中に微小滴状に乳濁させて、多価イソシアネートと水又は多価アミンとを反応させることによる方法が記載されており、上記多価イソシアネートとして、トルイレンジイソシアネート、トリフエニルメタントリイソシアネート、ジフエニルメタンジイソシアネート、デスモジユールL、Nの商品名でバイエル社から市販されているもの等が列挙されている。
請求人(原告)は、前記公報における方法中「多価イソシアネート」の語中には、本願方法で使用される芳香族イソシアネートの系列(以下、「(イ)系列」という。)と「デスモジユール」なる商品名を有する系列(以下、「(ロ)系列」という。)の化合物が包含されており、(イ)系列と(ロ)系列の化合物は互いに化学構造が相違する故に、ポリユリア樹脂形成能に少なからぬ差異をもたらすことは当然であるところ、実施例が開示されているのは(ロ)系列のもののみで(イ)系列のものについては実証がされていないのであつて、芳香族イソシアネートを用いて良好なポリユリア壁マイクロカプセルを製造する方法が従来確立されていなかつたことの証左である。したがつて、本願発明は、前記公報に記載の発明と実質的に同一であるというのは根拠がない旨主張するが、請求人(原告)の右主張はただ実施例が開示されていないということのみを根拠にしており、何ら具体性はない。
一般に知られているイソシアネートと水との反応性を考慮するならば、(イ)系列に属する芳香族イソシアネートと(ロ)系列に属する多価イソシアネートとで水に対する反応性に本質的な差異があろう筈もないから、(イ)系列の芳香族イソシアネートを用いる場合について、前記公報に実施例が開示されていないことから、直ちに当該イソシアネートを用いてポリユリア壁マイクロカプセルを製造する方法が従来確立されていなかつたことの証左であるということにはならない。まして、前記公報に記載の発明において、多価イソシアネートを実施例に開示された(ロ)系列のものに限定すべき合理的理由のないことは、本願発明において芳香族イソシアネートを実施例に開示されたものに限定すべき理由も必要性もないことと同様である。また、(イ)系列のものと(ロ)系列のものとでポリユリア樹脂形成能に少なからぬ差異があるとしても、本願発明で芳香族イソシアネートを用いたことによつて製造されたカプセルに格別の特徴が認められるのであればともかく、本願発明の技術的骨子はカプセル壁を形成させる原材料として芳香族イソシアネートを単独で用い、第二反応材使用の必要性を除いた点に特にあるものと認められることからして、(イ)系列と(ロ)系列の化合物の化学構造の相違を前提とする請求人(原告)の前記主張は、合理的理由がない。
なお、本願発明においては、水性相のpHを0から10までの間に調整することを要件としているが、明細書の記載によると、カプセル化工程の間、系のpHの調整をすることは本来的に必要なことでなく、系の成分、温度、包被される材料の性質などによつて必要に応じて行えばよいことであつて、pHの上限値を10と限定したのも操業上の問題を考慮してのこととされていることから、本願発明において水性相のpH調整の要件の有無は本質的問題ではない。
以上のとおり、前記公報には、本願発明が記載されているというべく、本願発明は特許法第二九条第一項第三号の規定により特許を受けることができない。
四 本件審決を取り消すべき事由
本件審決が認定した本願発明の要旨に基づく本件審決の認定判断は争わないが、本件審決は、原告が審理の再開の申立をしたにかかわらず、審理の再開をしないまま、本願発明をもつて前記公報(以下、「引用例」という。)に記載の発明と同一であるとして、特許を受けられないとした違法がある。
即ち、本件審決は、前記のとおり、昭和五十九年三月二十八日になされたが、原告はこれよりさきの同年二月二十九日、審判手続の審理終結通知(同月十四日付)を受領したので、当時既に本願発明において得られるマイクロカプセルの奏する特段の効果に関する実験データーをもとに特許異議追加答弁書を作成していた原告代理人弁理士桑原英明が、急拠、同年三月二十一日、上申書(甲第六号証)を提出し、同上申書において後記のとおり本願発明につき上申し、審理の再開を求めたのである。しかして、同上申書には、「特許請求の範囲の(c)項に「水に不混和性の相を水性相中に分散させ、水性相中に水に不混和性の相の小滴を生じさせ、」とあるのを「高せん断攪拌にて水性相中に水に不混和性相を分散させ」と補正し、さらに、特許請求の範囲(e)項に「分散した水に不混和性の相と水性相を約20℃から約60℃に保持して加水分解反応を生起させ、つづいて、攪拌速度を減少させて、加水分解反応を完了させ、かくして水に不混和性の材料をポリユーリア・カプセル包被体中に包被することからなる方法」と補正したい」旨記載してある。そして、右上申書に対応し、審判長から、上申書に記載したように、補正すべき右(c)項及び(e)項を含む特許請求の範囲を提出すべき旨の補正命令がなされれば、本願発明はいわゆる新規性及び進歩性を有する発明となりうるものであり、このことは、右上申書の記載から明らかである。したがつて、このような事実関係にある本件においては、審判長は審理を再開して、拒絶理由通知の形式をもつて、右のような補正命令を原告に対してなすべき法律上の義務があり、その根拠は、後記のとおり、特許法第一五六条第二項の規定に因る。原告が本件において主張する、審理を再開すべきであるとする理由は、右の点に尽きる。
特許法第一五六条第二項の規定は、審判長が、出願人からの審理の再開の申立につき斟酌すべき点が存し、かつ、審理の再開を必要とすると判断したときは、審判長において審理を再開すべく法律上覊束されるとするのが、立法の趣旨である。しかして、本件は、前記のとおり、審理の再開を必要とすると判断されるべき場合に当たる。なお、特許法が、補正の時期について制限を設け、例えば拒絶理由通知の受領時、審判請求時、異議申立時等補正をすることができる時期を定めているけれども、この時期的制限は、例外を許容しない絶対的制限ではないと解されるのである。この点、事情として述べるなら、実務上の取り扱いでも、審理の続行中において出願人の側に補正の必要がある場合には審判官と面接又は上申書の形式により補正を希望する特許請求の範囲を審判官に提示のうえ審判官による拒絶理由通知の形式により補正の機会を与えているのである。